沿革
HISTORY
1868 | 慶應4年 | 石田才次郎(現会長の曾祖父)明治政府最初の紙幣「太政官札」の製造を玄々堂 松田緑山と共に携わる。 |
---|---|---|
1868 | 明治初年 | 「石田旭山」として銅版彫刻(エッチング)の事業を開始。 |
1873 | 明治6年 | 京都博覧会用に日本で最初の英文観光パンフ「京都案内書」の編集に携わる。 以降 案内書、手引書など、微細な挿絵を銅版彫刻で施した書籍を多く手がける。 |
1887 | 明治20年 | 石版印刷機を設置。石版印刷(リトグラフ)による多色量産体制を整える。 以降 村井兄弟商会のタバコパッケージデザインやカタン糸のレッテル、シール、カタログ、包装紙、名刺。絵葉書などの印刷を手がける。 |
1918 | 大正7年 | 石田式フイルム版「石版転写用透明膜凸版」の特許を取得。国外にまで販売シェアを広げる大ヒット商品へ。 |
1924 | 大正13年 | オフセット印刷機の導入 |
1930 | 昭和5年 | 石田旭山印刷所を合名会社として発足 |
1934 | 昭和9年 | 石田旭山印刷所を石田旭山印刷株式会社に組織替え。 ガラススクリーン「写真製版用網目スクリーン蝕刻法」(写真を網点に置換える)の特許を取得。 |
1937 | 昭和12年 | 生業の印刷とは別に社内に大日本スクリーン製造所を開設。 |
1943 | 昭和18年 | 大日本スクリーン製造所を分離、法人化して、大日本スクリーン製造株式会社を設立。 |
1964 | 昭和39年 | 本社を松原高辻から堀川一条へ移転。 |
1969 | 昭和44年 | 京都府知事より「京都府老舗100年記念表彰」を受賞。 大阪営業所を開設。 |
1970 | 昭和45年 | 日本アール・アンド・ディ(株)と合併して株式会社写真化学に社名を変更。 |
1971 | 昭和46年 | 本社社屋・工場が完成。東京営業所を開設。 製版周辺機器の開発・製造・販売として株式会社写真工業を設立。 |
1974 | 昭和49年 | デザイン会社 株式会社フリーダム設立。 |
1978 | 昭和53年 | 建装材事業 ステンレス剛板にメタリックな彩色を施した壁面材ホリカラーを展開。 |
1979 | 昭和54年 | 保険代理店 株式会社サンエージェンシー設立 |
1981 | 昭和56年 | 写真化学、写真工業の2社で久御山工場を開設。 |
1982 | 昭和57年 | 建装材事業 淀工場に緑青加工の塗装ラインを新設。寺社仏閣や公共施設などの屋根材として注目を集める |
1986 | 昭和61年 | 株式会社写真工業と合併し新生写真化学がスタート。 |
1988 | 昭和63年 | 電子事業 世界で初めて大型電子ビーム装置による大型フォトマスク製造のため久御山工場内に新工場を建設。 |
1991 | 平成3年 | 印刷事業 生産拠点未来型開かれた工場をコンセプトに「草津事業所」を開設。 |
1998 | 平成10年 | 株式会社フリーダム、株式会社サンエージェンシーを子会社化。 |
2001 | 平成13年 | ファインテクノロジー事業部およびサーキットボード事業部を分離、法人化して、株式会社エスケーエレクトロニクスを設立。 |
2002 | 平成14年 | 衛星画像関連部門を株式会社ジオサイエンスとして子会社化。 |
2003 | 平成15年 | 企画・デザイン部門を株式会社ユニクリエイツとして子会社化。 |
2004 | 平成16年 | 本社を現在の烏丸二条へ移転。 |
2010 | 平成22年 | 精密機器部門を株式会社セザックとして子会社化。 |
2011 | 平成23年 | 株式会社フリーダムと株式会社ユニクリエイツを合併、株式会社プロネストとする。 |
2011 | 平成23年 | 粉体処理装置の開発製造 株式会社パウダーシステムズを子会社化。 |
2014 | 平成26年 | 撹拌機部門と株式会社セザックの営業を一本化、プロダクトカンパニーとして創設。 |
2015 | 平成27年 | 株式会社ジオサイエンスの事業をメディアカンパニーへ移管。 |
2017 | 平成29年 | 株式会社プロネストをメディアカンパニーへ統合。 株式会社セザックをプロダクトカンパニーへ統合。 粉体関連装置の販売会社として株式会社SKブリッジを設立。 画像処理応用システムの開発製作 テクノス株式会社を子会社化。 |
2018 | 平成30年 | プロダクトカンパニー セラミック用3Dプリンター開発部門を株式会社エスケーファインとして分離設立。 |
2022 | 令和4年 | ヘルスケア事業本部をプロダクトカンパニーへ統合。 |